さようなら、そして。

ようやくようやく、
あの人に対してのこれまでの気持ちがカサブタになってきました。
そのことを、認められるようになりました。

2年近く、かかってしまいました。

必要だったのは時間だけではありません。
新たな形の関係構築が現実となったことがとても大きいです。

あの人は、今や尊敬する先達であり、私がこれから手掛けようとすることの一番の理解者です。
想像もしていなかったことだけど、
こうやって新しい関係が結ばれ、その中で時間を重ね、二人で築いていくものがある、
そのことが見えてきて、ようやく私も、納得し始めているようです。

およそ2年前、
私が、いつ途切れてもおかしくない関係の不安定さに耐えきれなくなったときから、
その関係は、終わっていたのでしょう。
そのままでは継続できるものではないことを、明らかにしてしまったから。

自分からその宣言をしたのに
あの人は、いつもの様子からは想像もできないような抵抗をしながらも、受けいれてくれたのに
今度は
私が手放せなかった。
とてつもなく格好悪いことに。

それでも、周りの環境、相手の環境、自分の気持ち、自分の納得感、
そういったものが、少しずつ変化して、
次の納まりどころに、納まっていく。
一朝一夕で変わることはできなくても、ちょっとずつ確実に。

こんな私の変化に、
付き合い続けてくれている彼に、改めて感謝しています。

さようなら、
そして
これからまた、よろしくね。
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# by tomishiba | 2013-11-09 01:28 | ひとりごと

その時、は来る。

思えば、ずっと予感はあって。

その時が近づいている、そろそろだ、と。

早めるような行動をしたり、
先送りにするような事を考えたりしたけど
そんなぐるぐるをしたとて、行き着く先がどこかは分かっていた。

ただ楽しむだけの時間はもう終わり、なんです。

全てのものは常に移ろいゆく。
急に起きたことのように、そして、一方的に起きたことのように思えることも、
実はずっと前から、そして、響き合いながら変わっていた。


さて。

これから、どんな風に変わって行くのかな?

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# by tomishiba | 2012-06-16 21:02 | ひとりごと

秋の予感

秋の、2連続3連休も終わりという日。
気心知れていて、あれよこれよと何でも話せる友人と、最近知り合ったとても素敵なお友達の、刺激的なパフォーマンスを堪能した後、訪れたのは新宿御苑。

新宿御苑までの道のりには、たくさんの甘酸っぱい思い出があって、自分というちっぽけな一人の人生だけど、それなりにドラマチックだなあ、なんて振り返りながら。

青青とした芝生を背に、横になる。
地面からは豊かな湿り気、
天井は、すっかり秋の空。
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# by tomishiba | 2011-09-25 20:26 | 足跡(トウキョウ)

白菊酒造 初しぼり 仕込み一号 原酒生酒

今年の2月に、酒蔵見学にお邪魔しました、茨城の白菊酒造さんの、今年最初の樽から誕生しました、仕込み一号
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いくつもの仕込み原酒を上手に混ぜ合わせて、商品として世の中に流通する「白菊のお酒」が作られるのですから、いわばこれは「中間生産物」なのです。
シンプルで、きりっとした、潔い味。
香りも強く、ハンサムな一本でした。
しかもなんと、1000円ちょっとという破格のお値段。
酒造巡りはこれからも続けちゃうぞ!

ハンサムさんのお供は、浦安「泉銀」のまぐろゆっけと、秘伝の塩辛。美味すぎます。
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# by tomishiba | 2011-04-17 22:42 | 心地酔い備忘録

オイコノミア「経済の摂理」

大月 康弘氏のインタビュー記事より部分抜粋。

エコノミクスの語源を知っていますか。オイコノミア Oikonomia というギリシア語です。
これは、Oikos = 家 と、Nomos = 法律、摂理 が結びついてできました。
古代ギリシアでは、家父長が統べるイエ経済を意味しましたが、2-3世紀、テルトゥリアヌスによって新しい用語となり、巡りめぐって「経済学」となりました。

18世紀に至るまで、オイコス・ノモスは、多様な分野を含んだ、前近代的な「家政」を指していたようです。そこには、動植物についての知識から、農業、林業、気象学、天文学までが含まれていました。テリトゥリアヌスたちキリスト教徒によれば、それはいわば「世界」を統制する神の摂理にもとづく事象であって、「神の家」(宇宙)の摂理ということになるのですね。キリスト教世界的なこの用語を、私は「経済の摂理」と訳しました。

貧困問題や所得再分配論、資源問題など、今日的な問題群も、古来「救済の摂理」に属する主題だった。近代国家の福祉制度も、前近代世界における慈善活動も、同根なのです。哲学的テーマであると同時に、すぐれて現実的課題が、そこにあるのですね。

(中略)

大家族的な家父長制にあっては、「貧困」はイエ経済のうちに解消されています。家父長が一族郎党の面倒をみている世界を想像したらよいでしょう。キリスト教化の進展に伴って、個の意識が浸透し、各個が「世界」に放出される、という大転換が古代末期に進行します。神と向き合う個の叢生(そうせい)です。この世界では、共同体的互酬関係よりも、自律的個人の哲学が優先する。つまり、個人の資質と努力に応じて、世俗的栄達への可能性が開かれるとともに、共同体の保護から解放された分だけ、物質的(=経済的)貧困の脅威にさらされる危険性もでてきたのでした。

その事態を、キリスト教徒の皇帝が「救済」する、という仕組みができあがった。教会が果たす貧民救済の機能に対応し、これに免税措置を与えて、国家=教会の機能的連携ができあがったのです。この仕組みこそが、ヨーロッパの基層文化の根底にあるのです。
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# by tomishiba | 2011-04-13 04:50 | ひとりごと